持論。
『伝えたい』という思い と 『伝えるために必要なしんどい努力』 の天秤 について。
(参照→コミュニケーションについて2)
A『伝えたい』という思い
B『伝えるために必要なしんどい努力』
人の頭の中には、無意識的にAとBを載せた天秤がある。
あらゆる刺激がAを重くし、Aの側に天秤が完全に傾くと、「伝える」という行動を起こす。
すると、
Bは軽くなり、
Bが軽くなった状態で天秤は釣り合うようになる。
この時点で、
天秤は以前よりもAの側に傾きやすい状態になる。
つまり、
「伝える」という行動が起こりやすくなる。
またのあらゆる刺激によりAが重くなり、Aの側に天秤が完全に傾き、「伝える」という行動が起こると、
またBは軽くなる。
天秤は以前よりもさらにAの側に傾きやすい状態になり、
「伝える」という行動はさらに起こりやすくなる。
このように、Bがどんどん軽くなると、「伝える」という行動に出やすくなる。
これが、「伝え上手」になるプロセス。
このプロセスの初めには、
Aが重くなる、というのがある。
これは、刺激に支配される。
この刺激は、全員にほぼ等しく訪れる。
(環境によって、その頻度や大きさは異なるが。)
よって、
この刺激に反応しやすくなる(感度が高くなる)と、「伝え上手」になる
ということになる。
《ベースにある考え》
「伝えたい」とならないと「伝える技術」は定着しない
(以下を参考)
まとめ
「伝える」という行動を支配する頭の中の天秤(左:A 右:B)
A『伝えたい』という思い
初めは重さゼロ。
(1番初めは、「伝わらない」という経験(刺激)からくる。)
B『伝えるために必要なしんどい努力』
初めはとても重い。
伝えるのに慣れるにつれ、どんどん軽くなっていく。
2012年12月31日月曜日
コミュニケーションについて2
伝えることはどうやったら上手くなるか?
伝えることが上手な人は、 『伝えたい』ってなりやすい人(刺激に対する感度が高い人)。
この感度は、 生きてきた環境によって鍛えられる。
感動しいは、伝えるのが上手。
(意識的に伝える訓練をしてきた場合を除いた、無意識的な状況下においての話だが。)
伝え上手になるには、そこに対する努力をしようとする回数が多いことが必要。
そのためには、『伝えたい』となる回数が多いことが必要。
そのためには、あらゆる刺激に対する感度を意識的に高めておくことが必要。
これらは、 『伝えたいという思いがないと伝えるのは上手くならない』 という考えを根拠としている。
僕は多分、 『伝えたい』という思い と 『伝えるために必要なしんどい努力』 を 無意識的に天秤にかけて、 伝えるかどうかを決めている。
伝えることに慣れてない人には、
『伝えるために必要なしんどい努力』が重い(伝えるのに慣れると軽くなっていく) ので、
伝えるという行動を起こすのに必要な『伝えたいという思い』も重くないと、
伝えることができない。
だから、
刺激に対する感度を高めるとは、
『伝えるために必要なしんどい努力』を軽くしていくこと
とも言い換えられると思う。
僕は 生きてきた環境的に、この感度をあまり高めることができないまま今に至った、のか。
参考文献
1、広告づくりの原動力としての『伝えたい』という思い。
→世紀の奇祭「セルフ祭」に学ぶ(後編)「広告をセルフにしたらどうだろう?」http://www.advertimes.com/20121226/article97653/ …
2、伝えることについての深い洞察が書かれている。
『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』
電子書籍版も。
(著者記事)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33811
伝えることが上手な人は、 『伝えたい』ってなりやすい人(刺激に対する感度が高い人)。
この感度は、 生きてきた環境によって鍛えられる。
感動しいは、伝えるのが上手。
(意識的に伝える訓練をしてきた場合を除いた、無意識的な状況下においての話だが。)
伝え上手になるには、そこに対する努力をしようとする回数が多いことが必要。
そのためには、『伝えたい』となる回数が多いことが必要。
そのためには、あらゆる刺激に対する感度を意識的に高めておくことが必要。
これらは、 『伝えたいという思いがないと伝えるのは上手くならない』 という考えを根拠としている。
僕は多分、 『伝えたい』という思い と 『伝えるために必要なしんどい努力』 を 無意識的に天秤にかけて、 伝えるかどうかを決めている。
伝えることに慣れてない人には、
『伝えるために必要なしんどい努力』が重い(伝えるのに慣れると軽くなっていく) ので、
伝えるという行動を起こすのに必要な『伝えたいという思い』も重くないと、
伝えることができない。
だから、
刺激に対する感度を高めるとは、
『伝えるために必要なしんどい努力』を軽くしていくこと
とも言い換えられると思う。
僕は 生きてきた環境的に、この感度をあまり高めることができないまま今に至った、のか。
参考文献
1、広告づくりの原動力としての『伝えたい』という思い。
→世紀の奇祭「セルフ祭」に学ぶ(後編)「広告をセルフにしたらどうだろう?」http://www.advertimes.com/20121226/article97653/ …
2、伝えることについての深い洞察が書かれている。
『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』
電子書籍版も。
(著者記事)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33811
コミュニケーションについて1
書評。
言葉は本来、物事を伝えるための優良なツールであるはず。 なのに、コミュニケーションを邪魔している『お粗末で貧しい言葉』がある。
"はじめから貧しい言葉"
・本質を見えなくする言葉(遺憾、winwin)
・コミュニケーションを拒絶する言葉(ふつう、拡散希望)
"貧しくなった言葉"
・予定調和な決まり文句(逆に、勉強しなさい)
・使われて消費ひされた言葉(成果主義)
・流行を後追いした言葉(○○力)
・中身がない事を煽る言葉(国民的)
・便利すぎる言葉(ヤバイ)
言葉をコミュニケーションのツールと考えると、 話す相手に伝えたいニュアンスを伝えることができる言葉が、良い言葉。
コミュニケーションにおける言葉の役割というものを、
身近に、緊張感を持って、考えさせてくれます。
『その日本語、お粗末ですよ!』
言葉は本来、物事を伝えるための優良なツールであるはず。 なのに、コミュニケーションを邪魔している『お粗末で貧しい言葉』がある。
"はじめから貧しい言葉"
・本質を見えなくする言葉(遺憾、winwin)
・コミュニケーションを拒絶する言葉(ふつう、拡散希望)
"貧しくなった言葉"
・予定調和な決まり文句(逆に、勉強しなさい)
・使われて消費ひされた言葉(成果主義)
・流行を後追いした言葉(○○力)
・中身がない事を煽る言葉(国民的)
・便利すぎる言葉(ヤバイ)
言葉をコミュニケーションのツールと考えると、 話す相手に伝えたいニュアンスを伝えることができる言葉が、良い言葉。
コミュニケーションにおける言葉の役割というものを、
身近に、緊張感を持って、考えさせてくれます。
『その日本語、お粗末ですよ!』
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